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2008年05月16日 (金) | 編集 |
モルモットを冷凍したことがあります。
・・・・。
と、書き出すと、あの、ちょっと、あれなんですけど
誰でも大切に慈しんできたその仔と、
ずっとずっとずっとそばにいてほしい大好きでたまらないその子と
ある日突然の別れがやってきたら、
一瞬はそのようなことを考えたことがあるのではないでしょうか?
このことはもうずっと私の心の中だけにしまっておこうと思っていたのですが、
ちょっと最近思うことがあったので書いています。
今まで何度か書こうとしてはやっぱりやめていた出来事なのですが…。

↑この写真は2年前の1月この日の日記では、キキの亡き骸しか写真にうつっていませんが
実は隣の亡き骸は私の初めての愛モルのチョコです。
私はこの日まで実は、自分の冷凍庫の中にチョコを大事に横たえていました。
(と、書きながらもやっぱりこんな私ヤバイよね?!こんなのUPしちゃまずいよね?!
削除しよう。
という自分がいますが、やっぱり最後まで書くだけ書いてみようと思います)
チョコが亡くなった時(亡くなるという表現は人に対してとわかっていますがお許しください
)
私は本当に本当にどん底で、息をするのも浅くしかできていないようなかんじがずっとしていて、

ただ、目の前のもう息をしていないチョコの腐敗がどんどん進んでいくのが怖くって、
可愛いチョコの姿をもう見られなくなる時間が迫ってくるのがとっても怖くって
大好きで大好きで、離れたくなくて・・・
離れるのはあまりに辛すぎて・・・
一瞬、本気で「剥製にしようかな・・・」って思いました。
剥製というか、フリーズドライですね。
思っただけだったけど。
あまりに辛いまま時間が経たなくてひたすらPCで調べていたら、
剥製屋さんのHP「迷ったらとりあえず、冷凍しとけ」と方法が…。
後でやめることはできるけど、腐敗が進んでしまったら後で後悔ししてももうできないからと…
タオルでそっとくるんで、タオルでもう1枚くるんで、黒いビニール袋にそっと入れて・・・

帰宅したひーちゃんは「あれ?チョコは?」と言いました。
「エヘヘ。
」と泣き腫らした目でわざとちょっと明るく冷凍庫を指差した私。
彼は「まじかよ、勘弁してよ…
」と言いました。
私は「なにを!!アメリカだったら、サンクスギビング(感謝祭)の前になると、七面鳥を丸ごと冷蔵庫に入れとくんだよ!」と平静を装って言いながらも
「ここはアメリカじゃないし、飼ってたモルモットを冷凍庫に入れるなんて…」とブツブツ言う彼の言葉を聞きながら
深い孤独感を感じていました。
私とひーちゃんは一心同体だと思っていたのに
こんなに悲しいのは私だけなんだ、
冷凍庫に入れた私の気持ちなんて理解できないんだ、
ひーちゃんから見たら私はただの変人なんだ、
コロが死んじゃったときはいっしょにあんなに悲しんでたくせに…
とにかく私はひーちゃんと同じだけの悲しみは共有できてないと思い
チョコのことに関しては彼にも心を閉ざすようになり、
うちの冷凍庫はその日以来開かずの扉となりました。
彼もその日以来、チョコの話題には触れませんでした。
でも実は、一人きりになったとき、こっそり開けては
袋を開けて、タオルのおくるみをそっと取って
チョコの顔を見て「チョコ…今から夜勤に行って来るね…(日勤のときは朝だから彼がいるからできない)
今日は怖い○○さんと夜勤だからやだな…
でも私がんばってくるからね…帰ってくるまで待っててね」なんて
話しかけて「チョコ冷たい〜〜
」と泣いたりしてました。
(その代わり、仕事には明るいふりしてちゃんと行ってた)
あの頃の私は、仕事も辛くて、余裕がなくて、
自信がなくて、チョコに依存してたな。
自分の存在意義なんてないような気がして
だから彼とも同化したい気持ちが強くて
相手の考え方が自分と違ったり、自分を全て受け入れてくれないと
卑屈になったり突っかかったりして困らせたり…
ペットのことなんかでこんなに悲しんでる自分は幸せなんだと
世界では飢えてる人々や、戦争をしている人々がいるとか
考えようともしたけど、今自分は日本に暮らしていて
自分の目の前のことでいっしょうけんめいなわけで
結局時間が解決してくれた、というか、時間しか悲しみは癒すことができなかったというか、
時間とともに私の冷凍庫はいつのまにか開けられる頻度が徐々に少なくなり
結局は業者さんに送るまでの行動も起こさず(やっぱりそこまでは自分の中で抵抗がありました。
うまく言えないけど、チョコのことを忘れたくないけれど
形だけを残すのは違うような…
でも私はフリーズドライにする方々を否定はしません)
そして、キキのお葬式で移動火葬車を呼んだときに、今しか機会はないと
いっしょに埋葬したのでした。

今、同じことになっても同じこと(剥製を考えたり、お別れを伸ばそうと冷凍庫行きにしたり)はしません。
悲しいきもちは同じだと思うけれど、上手に書けないけれど
死は生の一部だとなんとなくだけど、理解できるようになったからかと思います。
自分も、今 いるみんなも100年後にはみんないなくなっちゃってるわけで
大切なことのお別れを何度か経験して、形あるものにこだわるより
心の中に居場所を作っていつまでも忘れないでいようと…

(↑お葬式の間、ミミは部屋の隅でよいこにしていました)
次回はもっと明るい日記を書きます。

↑ひーちゃんの本棚だらけのアパートで彼のおなかの上に乗るチョコ。

↑彼にも心を閉ざしていた頃、同じくペットロスで苦しむ女性とブログを通して知り合い、彼女はキキとチョコのお葬式の日、会ったこともない私にお花を贈ってくれた。
忘れたくない出来事
最近連絡とってないけど元気かな…優しい彼女に心の平安が訪れますように…
・・・・。
と、書き出すと、あの、ちょっと、あれなんですけど
誰でも大切に慈しんできたその仔と、
ずっとずっとずっとそばにいてほしい大好きでたまらないその子と
ある日突然の別れがやってきたら、
一瞬はそのようなことを考えたことがあるのではないでしょうか?
このことはもうずっと私の心の中だけにしまっておこうと思っていたのですが、
ちょっと最近思うことがあったので書いています。
今まで何度か書こうとしてはやっぱりやめていた出来事なのですが…。

↑この写真は2年前の1月この日の日記では、キキの亡き骸しか写真にうつっていませんが
実は隣の亡き骸は私の初めての愛モルのチョコです。
私はこの日まで実は、自分の冷凍庫の中にチョコを大事に横たえていました。
(と、書きながらもやっぱりこんな私ヤバイよね?!こんなのUPしちゃまずいよね?!
削除しよう。

という自分がいますが、やっぱり最後まで書くだけ書いてみようと思います)
チョコが亡くなった時(亡くなるという表現は人に対してとわかっていますがお許しください
)私は本当に本当にどん底で、息をするのも浅くしかできていないようなかんじがずっとしていて、

ただ、目の前のもう息をしていないチョコの腐敗がどんどん進んでいくのが怖くって、
可愛いチョコの姿をもう見られなくなる時間が迫ってくるのがとっても怖くって
大好きで大好きで、離れたくなくて・・・
離れるのはあまりに辛すぎて・・・
一瞬、本気で「剥製にしようかな・・・」って思いました。
剥製というか、フリーズドライですね。
思っただけだったけど。
あまりに辛いまま時間が経たなくてひたすらPCで調べていたら、
剥製屋さんのHP「迷ったらとりあえず、冷凍しとけ」と方法が…。
後でやめることはできるけど、腐敗が進んでしまったら後で後悔ししてももうできないからと…
タオルでそっとくるんで、タオルでもう1枚くるんで、黒いビニール袋にそっと入れて・・・

帰宅したひーちゃんは「あれ?チョコは?」と言いました。
「エヘヘ。
」と泣き腫らした目でわざとちょっと明るく冷凍庫を指差した私。彼は「まじかよ、勘弁してよ…
」と言いました。私は「なにを!!アメリカだったら、サンクスギビング(感謝祭)の前になると、七面鳥を丸ごと冷蔵庫に入れとくんだよ!」と平静を装って言いながらも
「ここはアメリカじゃないし、飼ってたモルモットを冷凍庫に入れるなんて…」とブツブツ言う彼の言葉を聞きながら
深い孤独感を感じていました。
私とひーちゃんは一心同体だと思っていたのに
こんなに悲しいのは私だけなんだ、
冷凍庫に入れた私の気持ちなんて理解できないんだ、
ひーちゃんから見たら私はただの変人なんだ、
コロが死んじゃったときはいっしょにあんなに悲しんでたくせに…
とにかく私はひーちゃんと同じだけの悲しみは共有できてないと思い
チョコのことに関しては彼にも心を閉ざすようになり、
うちの冷凍庫はその日以来開かずの扉となりました。
彼もその日以来、チョコの話題には触れませんでした。
でも実は、一人きりになったとき、こっそり開けては
袋を開けて、タオルのおくるみをそっと取って
チョコの顔を見て「チョコ…今から夜勤に行って来るね…(日勤のときは朝だから彼がいるからできない)
今日は怖い○○さんと夜勤だからやだな…
でも私がんばってくるからね…帰ってくるまで待っててね」なんて
話しかけて「チョコ冷たい〜〜
」と泣いたりしてました。(その代わり、仕事には明るいふりしてちゃんと行ってた)
あの頃の私は、仕事も辛くて、余裕がなくて、
自信がなくて、チョコに依存してたな。
自分の存在意義なんてないような気がして
だから彼とも同化したい気持ちが強くて
相手の考え方が自分と違ったり、自分を全て受け入れてくれないと
卑屈になったり突っかかったりして困らせたり…
ペットのことなんかでこんなに悲しんでる自分は幸せなんだと
世界では飢えてる人々や、戦争をしている人々がいるとか
考えようともしたけど、今自分は日本に暮らしていて
自分の目の前のことでいっしょうけんめいなわけで
結局時間が解決してくれた、というか、時間しか悲しみは癒すことができなかったというか、
時間とともに私の冷凍庫はいつのまにか開けられる頻度が徐々に少なくなり
結局は業者さんに送るまでの行動も起こさず(やっぱりそこまでは自分の中で抵抗がありました。
うまく言えないけど、チョコのことを忘れたくないけれど
形だけを残すのは違うような…
でも私はフリーズドライにする方々を否定はしません)
そして、キキのお葬式で移動火葬車を呼んだときに、今しか機会はないと
いっしょに埋葬したのでした。

今、同じことになっても同じこと(剥製を考えたり、お別れを伸ばそうと冷凍庫行きにしたり)はしません。
悲しいきもちは同じだと思うけれど、上手に書けないけれど
死は生の一部だとなんとなくだけど、理解できるようになったからかと思います。
自分も、今 いるみんなも100年後にはみんないなくなっちゃってるわけで
大切なことのお別れを何度か経験して、形あるものにこだわるより
心の中に居場所を作っていつまでも忘れないでいようと…

(↑お葬式の間、ミミは部屋の隅でよいこにしていました)
次回はもっと明るい日記を書きます。


↑ひーちゃんの本棚だらけのアパートで彼のおなかの上に乗るチョコ。

↑彼にも心を閉ざしていた頃、同じくペットロスで苦しむ女性とブログを通して知り合い、彼女はキキとチョコのお葬式の日、会ったこともない私にお花を贈ってくれた。
忘れたくない出来事
最近連絡とってないけど元気かな…優しい彼女に心の平安が訪れますように…
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